生きてるだけで幸せ

生きてるだけで幸せ

2020年10月13日 0 投稿者: きょう。

清水友邦さんのFB よりシェア

生きているだけで幸せ 寺山一心翁先生
 
ガンは日本人の死因の1位で、3人に1人がガンで死亡しています。

日本ではその割合が年々増加しています。

寺山心一翁先生は1984年の47歳の時に腎臓ガンと診断され、最新の3大療法にもかかわらず、右肺に転移し、末期ガンとなりました。

寺山心一翁先生は1946年の小学校4年から1949年の中学2年の時まで私の生まれ育った盛岡に滞在していました。

その時に賢治子供会に入会し 、「雨ニモマケズ」を唱和していたそうです。

そして寺山心一翁先生が毎日太陽に向かって感謝の挨拶をしているときに 突然「雨ニモマケズ」が出てきたのです。

その中で「欲ハナク、決シテ瞋(いか)ラズ、イツモシズカニワラッテヰル」のところで涙がとめどなく出てきて、私がガンを創ったのだということをはっきりと認識したそうです。

そしてガンに対して自分で作った子供だという気持ちが湧き起こり、「愛しているよ」と愛を送り始めましたら、痛みが減少して鎮痛剤を使用しないでも眠ることが出来るようになり、やがてガンは小さくなり始めたのです。

寺山心一翁先生は病院を去る決心をして、自宅で養生した結果、ガンは自然に治りました。
以来、病院での治療を受けていません。
83歳をすぎていますが元気です。

寺山心一翁先生はアリゾナ大学医学部で講演もしています。
アリゾナ大学医学部教授アンドルー・ワイル博士の著書「癒す心、治る力」72ページに寺山心一翁先生のガンが自然に治癒して消えていく様子が紹介されています。

「おかげで、自分のなかにも、まわりにも、自然治癒力があるということに気がつくようになったんです。そしてだんだん、ガンをつくったのは自分自身だったんだということに気づきはじめました。わたしが、自分のふるまいによって、ガンをつくったんです。そのことに気づくと、自分のガンを愛さなければならない、敵として攻撃してはならない、ということがわかってきました。ガンはわたしの一部であり、わたしは自分のすべてを愛さなければならなかったんです」寺山心一翁(アンドルー・ワイル/癒す心、治る力)

以下寺山先生の言葉です。

『私は当時38歳、あまりにも仕事中心で生活をしており、多忙で自分のこころを失って、毎日を過ごしていたのです。

その8年後、私は右腎臓がんになりました。
私は医師の言うことを信じ、手術、抗ガン剤、放射線の治療を受けて、5か月で78㎏あった体重が、なんと52㎏になってしまいました。

歩くことも不自由なくらいに、筋肉が無くなってしまいました。
ガンはからだに広がり、他部位へ転移して、余命数か月との告知を家族が受けました。

ちょうどそのころです。

身体から、私が抜け出す夢を見ました。
その直後、嗅いに敏感になりました。
同室の他人の臭いに耐えられなくなり、夜間、病院の屋上で毛布をかぶって寝ていたのを、夜勤の看護師に見つけられてしまいました。
病院側は、私がガンにかかっていることを知り、屋上から投身自殺をすると思ったのでしょう。
医師に大変叱られました。

私は直感で、自宅で死のうと決意して、退院しました。

それから私は、
すべてを自分の判断で行わなければなくなりました。

まず自宅での治療の始まりが、友人の勧めで食事を変えることでした。
病院では行っていなかったことでした。

しかし病院から戻った時、玄米が喉を通りませんでした。
玄米がそのまま粒になって出てきた便を、トイレで手に取って見て、
消化が悪いことを確認しました。
そしてどうしたらよいかを考えました。
よく時間をかけてよく噛んで、
食事をするということをしてみようと思ったのです。

まずは私は断食という、
「食事をしない食事」をすることから始めました。
断食は、血液をきれいにする最高の食事でした。

呼吸をしている自分に気づき、水の大切さを知り、
地に足を付けて、毎日を送りました。

宇宙の根源である日の出を、
自宅マンションの8階の屋上で見るようになって
『雨ニモマケズ』を唱える生活が毎日続きました。

毎日「今日も生きています」と日の出に語りかけているうちに、だんだん自分が皆に愛されていることに気付いて、感謝の念が高まり、生きているという感情が、生かされているという気持ちに変わっていきました。

すると意識が高い状態になり、自分の直感が高まっていったのです。

治っていく道がだんだん見えてきました。

ガンは自分で作っことに気づき、ゴメンネと謝りました。

自分の子供のように思えて、ガンのある部分に愛を送りつづけました。
するとなんと痛みが減り、鎮痛剤は不要になりました。
そして鎮痛剤は、自己治癒力を低下させていることに気が付いたのです。

さて、肺に転移したガンが完全に消えるまで、3年以上かかりました。

消えてもしばらく5年ぐらいは体調がすぐれませんでした。

抗がん剤、放射線で、からだの自己治癒力が壊されてしまっていたのです。

私の担当の医師は、私のガンは治るはずはない、奇跡だといい続けました。
その医師は、拙著「がんが消えた」が出版された2006年に、
ガンで亡くなりました。
不思議なシンクロニシティです。

ガンの手術から4年近くがかかりましたが、
私のからだにあったガンは消えました。

ガンは治るという確信が、
自分の行動、生活習慣のすべてを、
自分が治る中心になって、
すべてを取り入れていったからです。

その過程は、今の医学の中心のエビデンスが取れない、
感じて、感心して、感動して、感激して、感謝して、アリガトウの繰り返しでした。
ガンを自分で治すためには、自分の並々ならぬ努力が必要です。

まずは血液をきれいにすることです。
そして体を温めることです。
最後に、意識を空・無の意識に高めて、不安をなくすことです。
意識が高まっていくと、だんだん賢くなっていきます。

賢くなると、色々な体の内側の状態が聞こえてきて、
からだはいつも治そうとして、一生懸命に努力しているのを、
感じ取ることができます。

これが自然治癒力という力です。
この力を生かす方法があります。
それは瞑想をして静かな状態で、無になり、
「体の発する声を聴く」ことです。

もしもガンになられた人がこのページを読まれましたら、
貴方が賢くなる機会を与えられたと思ってください。
私も、あなたも、いつか必ず死にます。死亡率100%です。

死を見つめないで、今生きていることを見つめ、
どうか毎瞬を、生かされていることを感じて、楽しんでください。

恐怖は死期を早めます。

どうか怖れを開放して、忘れてください。』

「南に死にそうな人あれば、行って、コワガラナクテモいいと言い」
 宮澤賢治の「アメニモマケズ」の一節です。

寺山心一翁先生の人生は私たち人類の行く末とシンクロしています。

寺山心一翁先生が右腎臓ガンになった状態が今の私たちの状態です。

まだ地球環境が崩壊しているということを知らされていない人が大勢います。

当時の寺山心一翁先生はガンだと知らされなかったそうです。

これから寺山心一翁先生が臨死体験の夢を見たように地球環境崩壊のビジョンを見て「私がこの状態を創ったのだ」ということをはっきりと認識する人が増えてきます。

マインドは一つの世界に境界線を引いて分離します。

そして体と心、他者と自分を切り離し、対立と争いを続けてきました。

寺山心一翁先生はガンをきっかけに「欲ハナク、決シテイカラズラズ、イツモシズカニワラッテヰル」境地にたどり着きました。

自分の嫌いな所、欠点も含めて
あるがままの自分を全て受け入れた時、
境界は消えます。

自他を分ける私がいないとき時空を超えた愛に気づきます。
そこには愛だけがあります。
それ以外のすべては幻想です。
愛に境界線はありません。

世界が一つだと気がつくと自分が作り上げた偽りの境界線は消えます。
そして、ガンも消えたのです。

寺山心一翁先生の人生に転機が訪れたように人類も大転換の時代を迎えています。

寺山心一翁先生はガンを愛するようになりました。

物質文明の崩壊をきっかけに愛の惑星に変わるのでしょう。

「生きていることだけで幸せでした。太陽が神にみえましたよ。部屋にもどったら、家族全員のまわりにオーラがみえるようになっていました。だれもが神なんだって思いましたね」寺山心一翁

宮沢賢治 「雨ニモマケズ」……

小学校の5・6年の時の担任の先生が宮沢賢治が大好きで……毎日唱和する時間がありました。

何十年経っても諳んじることが出来ます❣️

「欲ハナク、決シテイカラズラズ、イツモシズカニワラッテヰル」……久しぶりにこの言葉に再会し……

「アー 私が目指し、幸せを感じるのはこの心境 なんだ❣️」 しみじみと感じることが出来ました🙏😄😄


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