死を前に後悔しないようにするには
清水友邦さんのFB よりシェア
誰にでも必ず人生の終わりがきます。
オーストラリアで長年緩和ケアに携わった ボニー・ウェア看護師によると 死を間近に控えた人々が口にした後悔の中で多かったトップ5は次の通りでした。
1.他人が自分に期待する人生ではなく、自分自身に正直な人生を生きる勇気があれば良かった
2.そんなに必死に働かなくとも良かった
3.自分の気持ちを率直に表現するだけの勇気があれば良かった
4.友だちをもっと大切にしておくべきだった
5.自分をもっと楽しく幸せにしてあげれば良かった
「他人に望まれるように」ではなく、「自分らしく生きれば良かった」という後悔がもっとも多いといいます。
人生の終わりに死と直面して、達成できなかった夢がたくさんあったことに患者たちは気づいたのです。
ああしておけばよかった、という気持ちを抱えたまま世を去らなければならないことに、人は強い後悔を感じます。
私たちは頭の中に浮かんでくる考えが子供の頃に刷り込まれたとは疑いもしないで暮らしています。
子供の頃に頭に刷り込まれた「人生脚本」を証明する為に、人生そのものを賭けて達成しようとしてしまいます。
外から埋め込まれた思考に従ってしまうと、本来の自分ではないので至福を感じる事はむずかしくなります。
私たちは子供の頃に刷り込まれた思考パターンに無自覚なので無意識に問題「行動」を繰り返してしまいます。
絶望的決断をして自殺や犯罪、殺人を犯す人もいます。
自分は無力だというプログラミングが働くと
「自己主張すると攻撃されていやなめにあう。危ない」
「夢を追いかけても、結局は失敗する」
「何もかもが自分が悪い」
「私は何をやってもだめだ。」
「私の人生なんてこんなものだ。」
と否定型の人生脚本にしたがった人生を生きようとしてしまいます。
好きな仕事をしてお金を戴くと仕事も人生の喜びになります。
仕事と遊びが一つになります。
しかし
「自分には無理だ。能力がない」
「人生とはそんな簡単なものではない。」
「そんなに人生がうまくいくものではない。」
「そんなことはとてもできない。」
と否定型の人生脚本にしたがって、いやいや仕事をやってしまいます。
嫌だ嫌だと思いながら嫌な人と我慢をして付き合い続けてしまいます。
自分を大切にしない人と我慢して一緒にい続けます。
頭の思考に拘束されている事に気がつかないでそのまますごしてしまいます。
そして人生の臨終際で気がつくのです。
「もっとこうすればよかった」と。
「努力をすればかならず報われる」
「一生懸命努力をしなければならない」のプログラミングが働くと、
自分の存在価値を仕事で証明し続けようとして、
不自然に異常に頑張ったり、
無理をし過ぎて、燃え尽きたりします。
エネルギーを消耗すれば病に陥ったり、関係が険悪になり対人関係が破綻します。
お金さえあれば幸せになれるという人生脚本を持って、家庭を帰りみずにがむしゃらに働いてお金を稼いで出世しました。
しかし、家族ためにと頑張って働いたのに気がついたら体は病気になりベッドに寝ていました。
仕事もだめになり女房も子供も実家に去り孤独になってしまった人がいます。
迫る死を目の前にして、社会的な地位について認められることやお金や富は色あせて、何も意味もなさなくなってしまいました。
本当に大切なものは何か?
一度立ち止まって瞑想し、自分自身の心に問いかけることはできなかったのでしょうか?
死は肉体を含め物質的なものすべてを喪失するときなので誰でも気づきが起きてきます。
人生の途中で起きる災難、悲劇、困難は気づきが起きる存在(プレゼンス・presence)からの最大の贈り物(プレゼント・present)なのです。
病気や失敗、別離などを経験して、人とのつながりの大切さや、人の苦しみを感じ取れる様になり、人に対して優しくなった人がいます。
困難や苦悩が心を豊かにさせ、人を成長に導いたのです。
失敗を恐れて、あたりさわりのない気づきのない人生をおくることのほうが本当は恐ろしいことなのかもしれません。
死の直前で後悔しても、この世でのやり直しの物理的な時間がほとんどないからです。
後悔しないようにするには
後悔した人の出来なかったことを今すぐ実行にうつすことでしょう。
• 夢をあきらめないこと
• 働き過ぎないこと
• 思っていることを相手に伝えること
• 友だちを大切にすること
• 幸せであること
人目ばかりを気にして自分を拘束して、あたりさわりのない人生をおくろうとするよりも
失敗を恐れずに本当にやりたいことを行動に移して経験したほうがいいようです。
いろんな悩みを抱えて……生きている方がたくさん💦
このブログを読んで……自分の生き方の点検を‼️
死ぬ時に「幸せだった」と思える人生を……と改めて感じました🙏😄
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