人の幸せを祈ると、仏頂面が消える

人の幸せを祈ると、仏頂面が消える

2020年4月1日 0 投稿者: きょう。

心に灯りを灯す よりシェア

渡辺和子氏の心に響く言葉より…
  
一人前の修道女になるためには、数年の準備期間があり、30歳近くで入会した私は、その後5年近くをアメリカで過ごしました。
  
当時は、修道女を志す人も今と違って多く、20代の若いアメリカ人百数十名と、ボストン郊外の広大な修練院で修行していた一年間の、ある日のことでした。
  
修練という言葉が示すように、朝5時の起床から夜9時の就寝まで、厳格な規律のもとに祈り、黙想、食事が行われ、その他の時間は主として草取り、洗濯、食事の下ごしらえなどの単純な作業に当てられます。
  
  
その日は夏の暑い午後でした。
  
私は、割り当てられていた配膳の仕事を食堂で果たしていました。
  
百数十の皿、コップなどを長机の上、パイプ椅子の前に一つひとつならべてゆく仕事を、沈黙のうちに手早く行っていた時です。
  
突然、「あなたは、何を考えながら仕事をしているのですか」と問いかけられ、振り向くと、そこには厳しい顔をした修練長の姿がありました。
  
「別に何も」と答えた私は、「あなたは時間を無駄にしている」と叱責され、一瞬、戸惑いを隠せませんでした。
  
命ぜられたことを、命ぜられたようにしていたからです。
  
修練長は、そんな私に今度は優しく諭すのでした。
  
「時間の使い方は、そのままいのちの使い方なのですよ。
  
同じ仕事をするなら、やがて夕食の席につく一人ひとりのシスターのために、祈りながら並べてゆきなさい」
  
何も考えないで皿を並べるなら、ロボットの仕事と同じです。
  
「つまらない」と考えて過ごす時間は、つまらない人生しか残してゆきません。
  
同じ時間を費やすなら、一つひとつの皿を並べる時に、「お幸せに」と、私にしかこめられない愛と祈りをこめて並べて、初めて私は、愛と祈りの人生を送れるのだということを、その日、その時、教えられたのでした。
  
  
30歳まで、英語を使うやりがいのある仕事に就き、修士号も取得していた私は、当初こそ、「これが修道生活というものだ」と納得して、単純労働にもいそしんでいたのに、時が経つにつれ、知的な刺激の少ない生活に対して「つまらない」と考える不遜(ふそん)な人間になっていました。
  
時間の使い方は、いのちの使い方。
  
この世に“雑用”という用はない。
  
用を雑にした時に、雑用が生まれるのだということを、心に叩き込まれた修練院での一コマでした。
  
果たして、私が「お幸せに」と祈りながら皿並べをしたから、夕食で座ったシスターが幸せになったかどうかは、わかりません。
  
わからなくていいのです。
  
これは私の時間の使い方、私の人生の問題だからです。
  
しかしながら一つ、たしかに変わったことがありました。
  
それは、私から仏頂面(ぶっちょうづら)が消えたことです。
  
生きていく上では、嫌なこと、したくないこと、欲しくないもの、気に入らない相手など、数々の自分にとって“ありがたくない”物事に向き合わないといけないことがあります。
  
つまらない仕事を、つまらなくない仕事に変える術(すべ)を、若くして修練院で教えてもらったことを私は、感謝しています。
  
「幸せは、いつも自分の心が決める」のであり、私たちは、環境の奴隷でなく、環境の主人となり得る人間の尊厳を忘れてはいけないのです。
  
マザー・テレサは、炊き出しをするシスターたちに必ず3つのことを実行するように諭しておられました。
  
パンとスープボウルを渡す時には、相手の目を見て、ほほえむこと。
  
手に触れて、ぬくもりを伝えること。
  
そして短い言葉がけをするという3つです。
  
それはロボットにはできない、人間の、他の人間に対する愛と祈りの表現です。
  
仕事を“する”doingも大切ですが、どういう思いで仕事をしているかというbeingを忘れてはいけないのだと肝に銘じています。
  
《この世に“雑用”という名の用はない。用を雑にした時に生まれる。<「つまらない」と思いながら生きる時間は、つまらない人生になってゆく。>》
  
『面倒だから、しよう』幻冬舎
  
人のために祈ると、実は、祈った本人まで健康になるという。
  
反対に、人を罵倒したり、怒鳴ったり、悪口を言ったりすると、一番聞いているのは自分だ、と言われる。
  
なぜなら、自分の「口」に一番近いのは自分の「耳」だからだ。
  
すると、自分を罵倒し、怒鳴り、悪口を言っているのと同じ状態になるからだ。
  
人の幸せを祈ると、仏頂面が消える。
  
そして、それはつまらない仕事を、つまらなくない仕事に変える術でもある。   
心の中で…
  
コンビニのレジで、「あなたに幸せが訪れますように」
  
朝会社で仕事の仲間に、「会社のみんなにもっと幸せが訪れますように」
  
渋滞の列で車を快く入れてくれた人に、「あなたに幸せが雪崩のごとく訪れますように」
 
人の幸せを祈ることができる人でありたい。

  

  

・自分の「口」に一番近いのは自分の「耳」
  
・人の「不幸」を願う時、「誰に」を神は聞かない。その「不幸」を本人の願いだと思い叶えてあげる。

  

いつも、幸せな言葉だけで満たされる自分でありたい❣️

  

  


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