釈迦の教えは「感謝」
人の心に灯りをともす よりシェア
小林正観さんの言葉より……
『釈迦の教えは「感謝」だった』風雲社
「受け容れる」についてこう書いている。
『(ある人が癌だと宣告され)あと三ヶ月の命、あるいはあと半年の命と言われたとします。
ありとあらゆる療法を試みて、自分の命を延命させたい、なんとか命を助けたいと、闘病生活を続けている間は、多分、苦しい心の状況だと思います。
それを仮に三ヶ月後、半年後に死ぬことを受け容れてみる…。
それを前提として、死ぬことを受け容れて、そして人生を考える。
今までは、家族のため、あるいは自分が向上しなければならないということで、無理やり努力をしてきた。
努力は本来、嫌がることを自分に課すことですから、体がそれによって、生きていたくないというふうに反応するのは当然なのです。
癌はそれを伝えにきてくれたのかもしれません。
その結果として会社を辞めることができ、仕事を休むこともできます。
そして、絵が好きだった人は、絵を描いてみればよい。
その三ヶ月の間に十枚の絵を書き残す。
死ぬことを受け容れて、あとは死ぬまでに何を残していくか、それだけを考えるのです。
そういう生き方、考え方を、「受け容れる」といいます。
初めは仕方なく受け容れていたかもしれません。
しかし、絵を三枚、四枚、五枚と描いていくうちに、
「ああ、癌になってよかた。癌にならなければ、こんな状態を永久に死ぬまで味わうことができなかった。』と思えるようになるかもしれません。
これは、受け容れるという心の段階でも、かなり上のほうになってきます。
そして、さらにその受け容れる気持ちが高まってゆくと、ついには、両手を合わせて感謝をしたくなります。
癌に両手を合わせて感謝をしたくなるのです。
「ああ、癌になったから、癌細胞さんが増えてくれたから、私は会社を辞めることができて、自分の好きなことに専念することができた」
「こういうほんとうに幸せな時間を下さったのは、癌細胞さんのお陰だ。癌細胞さん、ありがとう」
と、ほんとうに心から手を合わせることができたとします。
そうすると、癌細胞は消えていくらしい。
癌細胞は感謝されるのが大嫌いで、癌細胞は感謝の念を降らせられると、あっという間に消えていかざるを得ないようなのです。
逆に、癌細胞はストレスやイライラがとても大好きで、そのエネルギーを栄養剤としてどんどん増殖します。
免疫ということもまったく同じように作用するのですが、要は肯定的な生き方、喜びを持って楽しく生きる生き方。
そしてさらに、その受け容れが最高潮に到達すると感謝という概念になるのですが、その感謝にまで至ると、ついには癌細胞さえも生存することができなくなってしまいます。
体の免疫構造としては、喜びを感じ、幸せを感じ、さらにその心が感謝というところまで至ると、免疫性が猛烈に強くなるようです。』
「生老病死」について、我々はそれをなかなか受け容れることができない。
老病死が「苦」であることはわかるが、「生まれてくること」がなぜ苦なのかというと、それは生まれてくることによってすべての苦が生じるからだという。
生まれてくることが「縁」となって様々な「苦」が生じる。
なお、仏教でいう「苦」は思いどおりにならないことをいう。
仏教の出発点は「一切皆苦(いっさいかいく)」
つまり、人生とは思い通りにならないと知ることから始まる。
そして、なぜ「苦」が生じるかというと、それは「諸行無常」という、すべてはうつり変わるから。
あらゆるできごとを…
淡々と、受け容れることができる人をめざしたい。
私の周りには、癌を克服し……
「これがあったから、今の私がある」と感謝して過ごすと共に、周りの人と共にその幸せを味わいたいと……
笑顔で話される方が何人もいらっしゃいます❣️
その笑顔の中には微塵も苦しさは感じません😄
幸せオーラ全開です❣️
「全てを受け容れる」
宇宙や地球に感謝して、そういう生き方をする‼️ 日々前進です❣️
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こんばんは。
受け入れる、なかなか出来ない自分です。
相手の気持ちに限界だ、無理だと思いながら、受け入れよう、辛い…イライラする、やっぱり無理だと日々葛藤しています。朝から行ってきますともいわずにでていき、ただいまともいわずに帰ってくる…
相手が変わらない、だから自分が変わらなきゃと頭で理解しつつも、あのまま?なら私だけ嫌な気持ちのまま人生続くなら、楽な道もありじゃない?と考えてみたり…
本当にどうするべきか悩む今日この頃です。受け入れるって本当に難しい…
t.shibayamaさん
コメントありがとうございます(^^♪
「受け入れる」
言葉では簡単に言えますが、当人が立ちはだかる壁に直面した時は本当に難しい事だと思います。
一番の理想は「相手ではなく、自分が変わる」ことだと思いますが、
わたしは同時に「頑張る必要も無い」と考えています。
わたし自身が楽しいと感じる事ができない(楽しい未来が想像できない)ことに努める必要性はあるのか?
その壁は本当に自身の心に傷を負いながらも乗り越える必要があるものなのか?
少し遠回りをしてでも迂回した方が楽なんじゃないか?
なんなら壁は乗り越える物という自分の中にある『常識』を捨てて逃げ出すのがベストなのではないのか?
わたしが大きな壁に直面した際によく自問自答するワードを少し挙げてみました。
自問自答の際に何より大事にしている事は『わたし』がどうしたいのか?です。
人それぞれ手放せない(手放してはいけない)ものが異なるので参考程度ですが。。
今までご自身の中でたくさん悩み、苦み、頑張り、葛藤してこられたのだと思います。
もう人の為に頑張るのは十分ではないでしょうか。
一度立ち止まり、自分自身が幸せになる為にどうしたら良いのか。を是非考えて頂きたい!
そこから新しい道が拓かれる可能性もあると思います。
おひとりで立ち向かうのは相当な力が必要です。
たまには息抜きに「なかぐみ・きよらの杜」に遊びに来てください^^
言葉に出す事で気付くものもきっとあるはずなので・・・。
コメントありがとうございます。
葛藤している間、どちらかというと、常に離婚を考えていました。楽な道、新しい道を歩こうと。しかし、子供といる時間を考えるとそれができず…今に至る…です。
子供と共通に楽しめる事がみつかり、その時間は楽しい、一緒にいる時間はあと少し、大きくなるにつれ親との時間は減っていくもの、当たり前ですが今を考えると、足が先に進まなくなるのです。
子供ときちんと向き合ってこなかったからこそ、今を大事にしたいと思っています。
相手にはイライラばかりで、葛藤している自分がいる…イライラして、ブツブツ…悪循環もわかっています。
今、立ち止まりどうするべきかを考え、答えがでない日々を過ごしています。
仕事が超繁忙期のため、忙しいのも事実ですが、それに逃げているのも事実かなと。今は答えをだせないでいますが、繁忙期が終わりましたら、是非お伺いさせてください。名前を変更します、
momoshibaさん
もう既に答えは出ているのですね(*´▽`*)
お子さんとの時間を共有したいという想いが他の辛さに勝っていて、いま一番重要なものなのですね♪♪
momoshibaさんのコメントから母の強さが垣間見えました(^^♪
不安になったり、辛く感じる事はあるでしょうがその気持ちに自信を持って下さい!
ひとりで受け止めきれなくなったら吐き出して下さい。
吐き出す場所は「なかぐみ・きよらの杜」にあります。
決してひとりではありません(≧▽≦)
わたし達も上の方々と共に微力ながら応援させていただきますので、いつでも頼って下さいね(^^♪
momoshibaさんや他の方々にとって心の底から落ち着ける場所として在り続けたいと思います( *´艸`)
またのお越しをお待ちしております(*’▽’)