学ばない人は、走らない風車
人の心に灯りをともす よりシェア
明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…
人はなぜ、学ばないといけないのか。
それは端的にいうと一度しか与えられていない人生を豊かに生きるためです。
いろいろなことを学ぶと新しい世界に出会い、歓びを感じることができます。
また、自分が苦難にぶつかったとき、「学び」は役立ちます。
ソクラテス、孔子、ブッダなどを知っていれば、後から、そうした偉人たちの囁(ささや)きが聞こえてくるはずです。
そして、歴史を学ぶと、過去にこんな苦労した人たちがいたということを知るだけでも、自分が生きる糧(かて)になります。
「学び」がないと、無味乾燥な毎日となり、何か空しさを感じてしまいます。
学んでいる姿というのは、言って見れば子供の頃に遊んだ風車(かざぐるま)みたいなものです。
走れば風車は風を受け回りますが、走らないと風車は回りません。
学ばない人は、走らない風車です。
風車が止まっている姿は、本来の輝きを失い、生き生きしません。
人は60歳あるいは65歳で定年を迎え、そして70歳、古希(こき)を迎えます。
子どもたちが大人になり、親の手から離れると、親には静かな時間が「ドン」と訪れます。
そのときに学んでも仕方がない、意味がないと思う人もいるかもしれません。
とすると、風車は回らない状態となります。
生きている実感がないままに、最後の10年、20年を過ごしてしまう、ということになりますと、ふと空しさを感じるのです。
その空しさを感じるというのは、人生にとって私はかなり危険なことだと思います。
若いときと、老齢になってから「空しい」と感じる場合とでは、違うからです。
成年期のとき、自分はこれからどうなっていくのだろうという不安があります。
そう考えたときに今の自分でいいのだろうか、苛立ちとともに虚無感が頭をもたげてきます。
しかし、中高年を過ぎて、老年期になってからの空しさは、まるで自分の人生のすべてが無意味なような錯覚に捉われて、鬱々たる寂しさを伴うわけです。
青年期の生命力溢れるゆえの空しさと、生命力が衰えてくる段階での空しさは質が違います。
「死」の不安も老年期には襲ってきます。
だから、こうした不安や空しさから抜け出し、自分が生きてきたプロセスを、ちゃんと肯定できるためにも、老年期に入っても学んでほしいと思います。
そうすることで、自分の人生に対して、いつまでも前向きになれます。
70歳、80歳になっても自分は学ぶ、勉強することに積極的になることです。
すると、それまでの自分の人生は良かったときっと思えるはずです。
『斎藤孝式 “学ぶ”ための教科書』辰巳出版
一泊二日の「畜産加工基礎研修」にお誘いを頂きました。 え❗️私が❓と思いながら……昔……腸詰めウィンナーの作り方を教えて貰ったことがあって……
基本お誘いにNOはないので……
9/3・4と参加してきました❗️ 生の塊の肉の捌き方から……ウィンナー、焼き豚、ベーコン❣️ 座学もありながら……作業に二日間立ちっぱなし😱 最近緩んでいた体が……疲れました💦
でも……それを上回る良いことがたくさん❣️
専門的な技術も学び、それをどう活かすかが知恵の出しどころです。早速帰りに仲間に話し……やる気満々です(笑)
今回縁があった先生方……参加されたお仲間……
また娘や息子が増えました❣️❣️❣️
仲間とも、やっぱり外に出たらいい出会いがあるよね‼️
改めて、幾つになっても……歳に関係なく…… 人と繋がるご縁と、新しい知識は必要です❣️
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