ご縁に従う
人の心に灯りをともす よりシェア
曹洞宗徳雄山建功寺住職、枡野俊明(ますのしゅんみょう)氏の心に響く言葉より…
「ご縁」という言葉は人間関係でよく使われますが、仕事も日常の細々(こまごま)したことも、 すべて“縁もの”。
私たちは「ご縁に導かれて行動する」ことで、人生はうまくいくようにできているのです。
逆にいうと、誰かと、何かとうまくいかない場合は、「縁がなかった」ということ。
たとえば入学できなかった学校や、就職できなかった会社、契約が結べなかった事案、打ち切りになった仕事、スケジュールが調整できずに断らざるをえなかったオファー、 親しく付き合うところまではいかなかった人……。
これらは、単に「縁がなかった」だけのことなのです。
そう考えると、すっきりし ませんか?
心が軽くなりませんか?
それにご縁に逆らって、無理やり何か事を進めたところで、うまくいきません。
たとえば実入りのいい仕事が入っても、すでにお受けした仕事があるなら、そちらを優先して断るべきでしょう。
損得勘定に従うと間違えます。
ご縁に従えば間違えること はありません。人生がうまく回るのです。
『仕事も人間関係もうまくいく放っておく力ーーーもっと「ドライ」でいい、99の理由(知的生き方文庫)』
本書の中に『淡々と見送ればいい』という心に響く言葉があった。
『ともに仕事をした仲間が、会社を辞める。
ともに厳しい練習に耐えてきた仲間が、チームを去る。
三日にあげずともに酒を酌み交わした仲間が、転勤で遠方に行ってしまう。
どんな形であれ、親しい人との親しい時間がなくなってしまうのはさびしいことです。
去る者の背を追いかけていきたいくらいの未練が残るかもしれません。
しかし禅に、「去る者を追わず」という言葉があるように、別れのつらさ・さびしさを引きずることなく、淡々と見送るまでのことです。
そもそも付き合いが途絶えてしまうのは、結ばれた「縁」が切れただけのこと。
場合によっては復活することもあるし、どういうわけか切れない「腐れ縁」みたいなものもあります。
この「去る者は追わず」と同じくらい大事なのは、「来る者は拒まず」という姿勢です。
自分と接点を持った時点で、それは大切な「ご縁」なのです。
縁は人為的にコ ントロールできるものではありません。
いうなれば「自然の巡り合わせ」ですから、あれこれ深く考えず、「去る者は追わず、来る者は拒まず」でいいのです。』
新しい仕事やプロジェクト、何かの団体の役職等々の頼まれごと。
あるいは、誘われた食事会や飲み会、勧められた本や映画、紹介された人…。
立命館アジア太平洋大学学長の出口治明氏は、「食事やお酒に誘われたら、原則、断らない」「10人以上集めてもらったら、可能な限り、どこへでも話しに行く」のが信条だという。
ご縁を大切にする生き方だ。
逆に、ご縁がなくなる「別れ」もある。
最後の別れは「死別」。
仏教では「苦しみ」のことを「思い通りにならないこと」だという。
それが「一切皆苦(いっさいかいく)」。
世の中のすべての事象は、自分の思い通りにはならない。
死も、別れも、出会いも。
だからこそ、『「ご縁に導かれて行動する」ことで、人生はうまくいく』。
目の前にやってきた「ご縁」を大切にする人でありたい。
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大切な「ご縁」
私たちは「ご縁に導かれて行動する」ことで、人生はうまくいくようにできているのです❗️
人間関係も……仕事も日常の細々(こまごま)したことも、 すべて“縁もの”。
全てのご縁に感謝しながら毎日が過ごせることを願います🙏😄