勇気とは、震えながらでも一歩足を踏み出すこと
人の心に灯りをともす よりシェア
斎藤一人さんの心に響く言葉より…
勇気っていうと、誰かに立ち向かっていって相手を倒すことだと思っている人が多いけど、そうじゃないんだよ。
自分が幸せになるために、震えながらでも、泣きながらでもいいから幸せに向かって一歩足を踏み出すことなんだよ。
そして、その勇気はみんな持って生まれてきたんだよ。
人は幸せになるために生まれてきたんだ。
神様との約束を思い出してごらん。
決して不幸になるために、苦しむために生まれてきたんじゃないってわかるから。
あなたは勇気を持って生まれてきているよ。
「素直さ」こそ最強の武器である』秀和システム
福岡県にある南蔵院(なんぞういん)、林覚乗(はやしかくじょう)和尚のこんな話がある。
広島の女子高生のA子ちゃんは生まれた後の小児麻痺が原因で足が悪くて、平らなところでもドタンバタンと大きな音をたてて歩きます。
この高校では毎年7月になると、プールの解禁日にあわせて、クラス対抗リレー大会が開かれます。一クラスから男女二人ずつ四人の選手を出して、一人が二十五メートル泳いで競争します。
この高校は生徒の自主性を非常に尊重し、生徒たちだけで自由にやるという水泳大会で、その年も、各クラスで選手を決めることになりました。
A子ちゃんのクラスでは男二人、女一人は決まったのですが、残る女一人が決まらなかった。
そこで、早く帰りたくてしょうがないそのクラスのいじめっ子が、「A子はこの三年間体育祭にも出ていないし、水泳大会にも出ていない。何もクラスのことをしていないじゃないか。三年の最後なんだから、A子に泳いでもらったらいいじゃないか」と意地の悪いことをいいました。
A子ちゃんは誰かが味方してくれるだろうと思いましたが、女の子が言えば自分が泳がなければならないし、男の子が言えばいじめっ子のグループからいじめられることになり、誰も味方してくれませんでした。
結局そのまま泳げないA子ちゃんが選手に決まりました。
家に帰りA子ちゃんは、お母さんに泣いて相談しました。
ところが、いつもはやさしいお母さんですが、この日ばかりは違いました。
「お前は、来年大学に行かずに就職するって言ってるけど、課長さんとか係長さんからお前ができない仕事を言われたら、今度はお母さんが『うちの子にこんな仕事をさせないでください』と言いに行くの?たまには、そこまで言われたら『いいわ、私、泳いでやる。言っとくけど、うちのクラスは今年は全校でビリよ』と、三年間で一回くらい言い返してきたらどうなの」とものすごく怒ります。
A子ちゃんは泣きながら、二十五メートルを歩く決心をし、そのことをお母さんに告げようとしてびっくりしました。
仏間でお母さんが髪を振り乱し、「A子を強い子にしてください」と必死に仏壇に向って祈っておられた。
水泳大会の日、水中を歩くA子ちゃんを見て、まわりから、わあわあと奇声や笑い声が聞こえてきます。
彼女がやっとプールの中ほどまで進んだその時でした。
一人の男の人が背広を着たままプールに飛び込みA子ちゃんの横を一緒に歩き始めた。
それは、この高校の校長先生だったのです。
「何分かかってもいい。先生が一緒に歩いてあげるから、ゴールまで歩きなさい。はずかしいことじゃない。自分の足で歩きなさい」と励まされた。
一瞬にして、奇声や笑い声は消え、みんなが声を出して彼女を応援しはじめた。
長い時間をかけて彼女が二十五メートルを歩き終わったとき、友達も先生もそして、あのいじめっ子グループもみんな泣いていました。(心ゆたかに生きる)より
弱いもの、ハンデのある人を集団でいじめる。
自分に火の粉がかからないように、見て見ぬふりもする。
人として、最も恥ずべきことは、卑怯なことをすることであり、弱いものいじめをすることだ。
それは、藤原正彦先生のいう、惻隠の情をなくすることだ。
弱者や老人へのいたわりや、思いやりの気持がなくなったとき、人は人ではなくなる。
母の強さと祈り、校長先生の思いやりの深さ…
真の意味での、優しさと思いやりは、ただ手助けすることではなく、相手を一人の人間として尊重し、自立を見守り応援すること。
《勇気とは、震えながらでも一歩足を踏み出すこと》
震えながらでも、泣きながらでも…
一歩足を踏み出せる人でありたい。
一歩踏み出すこと……今までしたこともないことを……でも・・・心のどこかで興味があること……
「してみようかな」……他の人の行きませんか❓でもいいし……
『何でもいいから飛び込んじゃえ‼️』
新しい出会いがあったり………新しい道が開けるものです❣️
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