人生をどれほど楽しんできたか
人の心に灯りをともす よりシェア
小林正観さんの心に響く言葉より…
ダイヤモンドを持ってくることはできます。
金ももってくることはできます。
100人が100人とも、指さして「これは金だ、ダイヤモンドだ」ということはできますが、では「幸せ」というものを持ってくることのできる人はいるでしょうか。
宇宙的な意味で、絶対的な価値を持つものとして、誰もが認める幸せという名の現象、物体は、今も過去も存在していないのです。
では、なぜ幸せという言葉が存在するのでしょうか。
幸せは、「私」にだけ存在するからです。
「私」が幸せだと思ったら幸せ。
隣の人にとってそれが幸せなのではなく、全部「私」がそれを決めるのです。
今、目の前にある現象が来たとする。
この現象について私が、「あ、嫌なことだ、不快なことだ、イライラする」
と思ったとします。
思った瞬間にこれは嫌なこと、不快なことになります。
では、「私」がそう思わなかったら、この現象はただ通り過ぎるだけのこと。
ある現象が次に来たとする。
そのときに「私」が、
「あ、楽しい」
と思ったとします。
その瞬間にこれは楽しいことになります。
「楽しい」と思わなかったら、これはただ通り過ぎるだけのことです。
つまり、「私」が全部決めている、ということです。
幸も不幸も、勝ちも負けも、成功も失敗も、敵や味方も、全部自分が決めている。
「私」がそう決めなければ、敵も味方も、成功も失敗も、勝ちも負けも、幸も不幸も全部宇宙には存在しないのです。
全部ゼロ現象として存在している。
それをお釈迦様は「五蘊皆空(ごうんかいくう)」と言ったらしい。
重いとか軽いとか、暑いとか寒いというように色づけして、感想をつけて物事を評価したときに、その現象は実は全部「空」である、ということを後世の人々に伝えたかったらしい。
この一言が伝われば、そしてこの意味がわかると、私たちは悩みや苦しみから100%解放されるはずだった。
『幸せな人は知っている「人生を楽しむ」ための30法則』フォレスト出版
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小林正観さんは「物事のとらえ方」についてこう語っている。
『物事のとらえ方を、3つの帝国の住人になぞらえることができます。
「物事が半分しかないじゃないか」と否定することを、非(あら)ずの心で「悲しい」と書きます。
物事について「そうじゃないじゃないか」と非ずと否定する心が、悲しみ悲劇の元、ということを表しています。
そればかりを言っている国に住んでいる人を、私は「非帝国(否定国)の住人」と名づけました。
そして、「うれしい、楽しい、幸せ」と物事を何でも好ましいほうにとらえる人を「好帝国(肯定国)の住人」と言っています。
そして、コップに水が半分残っているのを見て、「何者かが半分も残してくださってありがたい」というようなとらえ方をする人、物事を何でも感謝の心で「ありがたい」という人。
私は東京の深川の生まれなので、江戸弁でこれを「ありが帝国(ありがてえ国)の住人」と名づけました。
非帝国の住人であってもかまわない。
それが楽しくて心地よければそこにいていいのです。
好帝国の住人でいるのが心地よければ「うれしい楽しい幸せ」と思って生きていけばよい。
それから何でも「ありがたい」と思って生きていくのが心地よいのであれば、その心地よいところで自分が生きていけばよい、ということです。』
「五蘊皆空(ごうんかいくう)」とは、仏教の言葉で、この世の全ての存在や現象は「空」であるという。
五蘊とは、5つの集まりのことで、色、受、想、行、識をいう。
色とは、肉体であり、身のまわり全てのもの。
受とは、感じること、知覚すること。
想とは、何かを想うこと、好き嫌い。
行とは、意思や、捉われた想い。
あの世に行くと、向こうで決まって聞かれることがあるという。
それは、「人生を、どれほど楽しんできたか」という問い。
つまり、人生という現象をどう捉えたか、という質問だ。
小林正観さんは、「幸も不幸も、勝ちも負けも、成功も失敗も、敵や味方も、全部自分が決めている」という。
つまり、この人生を楽しいと思うか、そうでないと思うかは自分が決めている。
この一度しかない人生を…
面白がって、楽しんで、愉快に、生きていく人でありたい。
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「幸も不幸も、勝ちも負けも、成功も失敗も、敵や味方も、全部自分が決めている」という。
あの世に行くと,決まって聞かれる問いがあるという。「人生を、どれほど楽しんできたか」という問い。
面白がって、楽しんで、愉快に、生きていく人でありたい。
同感です❣️❣️❣️